ナイバビルの外装工事が終了しました。(2019.08.30)

ナイバ本社ビルは、大阪万国博覧会開催まで1年後に迫った、まさしく日本の高度経済成長ど真ん中の昭和44年(1969年)、会社創設者の馬場幸秋氏が高松市の琴電「瓦町」の東側に5階のビルを建設されました。昭和50年代前半までは、1階と2階が内場地下工業(現在のナイバ)、3階は四国土木(現在の協拓建設)、4階と5階はビジネスホテルを運営しておりました。
 当時の四国は、瀬戸大橋、ダム、トンネル、発電所、変電所、工業団地の造成工事等の建設ラッシュでした。60人を超える社員は、四国中で夜討ち・朝駈けで凸凹道の砂ぼこりを巻き上げながらトラックを走らせ、今とは比較にならない厳しい作業環境の中で、ボーリング調査やグラウト工事に従事されました。その汗と涙の結晶が今のナイバビルなのです!感謝!です。
 私たちに素晴らしい作業環境とアフターファイブの楽しみを与えてくれたナイバビルも築50年を迎え、外壁は汚れで黒ずみ、ヒビ割れが目立ってきましたので、令和元年7月~8月にかけて外装工事を行いました。将来の新社屋の建設をめざし、塗装で見違えるように綺麗になったナイバビルで心機一転、会社一丸となって頑張って行きたいと思っております。

外装工事前
外装工事前:足場仮設開始時点
(令和元年7月5日撮影)
外装工事完了
外装工事完了
(令和元年8月30日撮影)

※社名について
 内場地下工業の社名のうち「内場」の由来は2つあります。1つは、昭和20年代後半に内場ダム(高松市塩江町)の建設現場で某ゼネコンの内田氏が現場所長をされており、創設者の馬場氏は内田氏(ナイバの会社設立に援助)のもとで一緒に仕事をしていました。それぞれの「内」と「場」の1文字を採用した説。2つ目は、内場ダム「内場」をそのまま採用した説。おそらく、2つの説がマッチングして内場+地下工業の社名ができたのでしょう。なお、「地下工業」はボーリングを使って温泉や地下水開発を行う業種を表しています。
 最後に、1階の奥に資機材の一部を保管する倉庫があり、その鍵には黒字で「食堂」と書いた白いネームプレートが付いています。倉庫は昭和50年代まで食堂として使用されていた所で、懐かしくも往時を思い出させるプレート名です(筆者も最近知りました)。

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